フランダースの犬の舞台”アントワープ” 〜旅行2日目〜
今日はあいにくの雨。。
ということで教会メインのアントワープの街へ。まずはアントワープ駅。
1900年代に建てられたもので外観も内装も美しく迫力があった。
ここはパトラッシュとネロが最後にみたキリストの昇架の絵画や、キリストの降架の絵画、聖母マリア被昇天の絵画などが飾られている。
キリスト降架の絵画。
キリスト昇架の絵画。左手にある青ざめた女性が聖母マリア様とのこと。
フランダースの犬の話ではこのキリストの降架と昇架の絵画は当時有料でネロが見れなかったとされている絵で↓聖母マリア被昇天の絵画だけは無料でみれたとのことでこの絵を毎日ネロは見に来てたとのこと。
大聖堂出たところにネロとパトラッシュが横になっている像が。
ここだけやたら最近使ったような新しさを感じた。
続いてマルクト広場へ。今日は雨の中アントワープマラソンがあったみたいで街は音楽と歓声が上がっていた。
アルテゴンという巨人を成敗したブラボーの像がグローテマルクトの市庁舎前にあった。
巨人の手”ant”を切り取って投げた”werpen”がアントワープの名前の由来になったとのこと。
改装中で市庁舎はカーテンがかっていた。フランダースの犬の話の中でネロが参加した絵画コンクールの舞台はこの市庁舎だったとのことで本物を見たかったなと少し残念でした。
このこの近くの老舗レストランでパスタとベルギー名物料理”牛肉のビール煮”を食べた。
使用するビールによって味が微妙に違うらしい。今回のレストランではブラウンビールを使用。柔らい牛肉にコクのあるソース、それにアントワープの地ビール”De koninck” を頂いて最高に美味しかった。割とさっぱりした味わいのビールだった。
次に向かったのはルーベンスの家。
右手がアトリエ、左手が住宅とのこと。朝から電車に乗り下の子を抱っこ紐での観光、なかなかヘトヘトでここはサクッと外観だけみてブリュッセルのホテルに戻ることに。
夜ご飯はブリュッセルにある”L’Huitviere”という魚介類の店。アムステルダムでは普段お肉を食べる機会が多いためここぞとばかりに毎日シーフード店で夕飯を食べてる。
この店の28€のコース料理を注文。前菜、メイン、デザートと三つ選ぶことができる。
私はカニ好きな娘のためにクラブを注文。旦那とお義母さんはロブスターをメインに注文した。
カニは味が細くて食べずらくロブスターは味付けも美味しくロブスターの方がおススメ🦞
今日は雨降りで気温も10度前半で寒く身体も冷え込んでたためラーメン屋さんへ。
夕食の並びのラーメン屋”MENMA”へ。
一つだいたい14€。スープが少し少ないところは気になったけどあとは麺もスープもトッピングの具材も日本で食べるレベルで美味しかった。
ブリュッセルで他にもラーメン屋があるみたいなのでまた機会があったらいってみたい。
明日は水の都”ブルージュ"へ。
ベルギーブリュッセル到着🇧🇪
オランダから車で2時間半ほどでベルギーの首都ブリュッセルに到着🇧🇪
一日18ユーロのパーキングに車をとめ、コスパの良いノボテルに泊まった。
まずはションベン小僧。いくとちょうど衣装のお着替え中。思ったより小さくてビックリした。
次にグランプラスに向かった。道中たくさんのワッフル屋さん、ショコラの店が並んでいてアムステルダムより食べ歩くのにワクワクする国だなと思った。
グランプラスで歴史ある建物を見てBij den Boerという魚介類で有名なお店へ。
魚介類の盛り合わせ、スープ、ムール貝のワイン蒸し、焼き魚のソテーを注文。
ビールはクラフトビール一通り頼んでシェア。
オイスターや甲殻類などはもちろん魚介のスープが絶品だったのでおススメ。
次女もロブスターをすすってご満悦でした。
明日は朝からベルギーワッフルのお店でお茶してアントワープに観光予定。
子供たちの楽しむ様子がまたみれるといいな。
キューケンホフ公園
ちょっと話は飛んでキューケンホフ公園🌷
今ちょうど旦那のお母さんが日本から遊びにきてるので春のメインイベントのキューケンホフ公園へ行くことに
オランダはここ1週間夏日。毎日22-24℃くらいある、24日今日でそんな日も終わり明日からは20℃下回る予定💦💦
22日月曜に予定してたキューケンホフ公園、この日はイースター復活祭でオランダでは休日となってるため激混みするとの予想で一日ずらして昨日いってきた。
10時頃到着するも駐車場にはたくさんの車、とめることは全然できるけど昨日だったらどんだけ混んでたんだろうと思った。
敷地が広大でどこをどう回ったらいいか地図を見てもいまいち分からずメインエントランス入って左側から回ることに。
最初は女の人の母に形どったチューリップ🌷
そこから左奥に進んでいくと川にあたり川沿いに咲いているチューリップを見ながら中央にあるWillem-Alexanderで休憩。ランチ
そこを抜けると皆チューリップが咲いている芝生でピクニックしている。
その先に風車があって写真スポットということもありこのあたりは激混みでごった返していた。
入り口の方に向かってもどっていくと子供の遊び場がありこの辺りはサクラも綺麗に咲いていてお花見状態🌸長女が遊ぶのに付き合いここでマットひいて待機。この先に動物の小屋もあったけど夕方予約してる歯医者のため急いで出口へ。
最後はまた写真スポットでチューリップとパシャリ🌷
15時頃出たから、5時間の滞在でした。
アイスクリーム屋さんやポテトフライ、バーガーなど沢山の出店もあって暖かければピクニックであと2時間はいれる感じでした❣️
来年は逆側のエントランスextraの方から入ってみようかな。
事前に入園チケットもパーキングチケットもネット購入したからスムーズに進み気持ち割安なのでオススメです。
5/19日までやってるキューケンホフ公園、帰りに公園周辺の広大なチューリップ畑を見て回ってる人もたくさんいて今度はそこでのんびりみるのもいいなと思った🌷
出産後2ヶ月でオランダ移住に向けての生活〜マンション売却までの流れ
7/13土曜日に無事退院したが、翌日から旦那のシンガポール出張😅
両家の両親都合悪く、上の子見ながらの赤ちゃんと3人の生活が始まった。タイミングいいのか悪いのか上の子の夏休みにも重なりガッツリ3人で缶詰状態😢
初めから旦那の出張も分娩日程も予定されてたから、それに向けて大量に唐揚げあげて冷凍したりカレー、ハヤシライスも同じように大量に作って冷凍して準備はしていた。
そんな状況を見かねた近所の仲のいいママ友がご飯を届けてくれたり上の子を連れ出して遊びにいってくれたりと優しさがめっちゃ心にしみた。旦那の出張は一週間ないくらいだったけど、そんなこんなで産後1ヶ月はなかなか友達にはあわないのが一般的だけどこの1ヶ月の間に親のサポートもゼロだったためママ友や兄家族、近所の人たちなど沢山の人と会ってた気がする。
身体は後陣痛と疲労でしんどかったけど、入院中お見舞い断っててほぼ友達にあってなく人恋しかったのと2ヶ月後にはオランダ移住が待ってるため産後1ヶ月なんていってられないという感じだった。
後陣痛は波があるものの痛い時には夜中目もさめて痛み止めを飲んでもなかなか寝付けないほどでそれが産後2週間近くたってもなお続いたため近医にてレントゲン施行。
痛みの場所は無痛分娩のときに麻酔が効かず激痛を感じた場所と同じだった。
特に骨折などは見られないとのことで1週間後にMRI予約したがその後不思議と翌日から激痛で眠れないなどということはなくなったためキャンセルしことなくを得た。
産院での1ヶ月検診で赤ちゃんの臍の緒がまだ壊死せずくっついてること指摘されその処置に再度来院すること以外は特に問題なく経過順調だった。
8/9の1ヶ月検診も終わるといよいよ9月のオランダ移住が差し迫っていた。
長女はアムステルダムにある日本人学校でも現地校(オランダ語での会話になってしまう)でもなくインターナショナルに行く予定だったため旦那の会社の福利厚生をフルに活用してシェーン北千住校に夏休み中週2、3で通い詰めた。私もそれを利用し旦那に家で赤ちゃんを見てもらい4回程プライベートレッスンにいった。旦那がいない時は赤ちゃん抱っこ紐でかかえ、長女と自転車で北千住まで行ったりしていた。
現地の歯医者事情もよくわからないため、家族揃って一旦こっちで必要な治療を終わらせるため歯医者通いし旦那と私はマウスピースも作ってもらった。
あと私は会いたい友達との予定を平日、休日問わず入れ娘の友達にも会わせてあげたりと産後とは思えないくらいの過密スケジュールでまわしていた気がする。
残るは持ち家のマンション売却問題!!
オリンピック効果も衰退してきて2017年頃からから価格横ばい。
今後どうなるかはわからないが、今ならトントン近くで売れること、また帰国時に持ち家があると賃貸への会社の補助がガクッと下がることを考慮し、今のうちに一旦手放して帰国後数年経ってから(会社の福利厚生で6年ほどは20万円までは85%の補助金がでることになっている)終の住処のつもりで再度物件購入しようという話になった。
どこを見られてもいいようにこの忙しい日々の中断捨離、掃除でなんとか取り繕い送別会を一旦抜け出したりして見学のお客様対応するなどしていた。
次回購入値段、売却値段などマンション売却までの詳しい内容について記録しようと思う。
つづく
無痛分娩はほんとに無痛?産後の入院生活
2018年7月10日に出産してその晩は久しぶりに不安にかられることなく寝れた。
7年ぶりの新生児はフニャフニャしててちっちゃくってすごい可愛かった。添い寝してる時や抱っこしてる時、落とさないか潰しちゃわないだろうかと不安になるくらい小さく感じた。
出産翌々日にメグミルクの人主催の粉ミルクの説明会があって自由参加とのこと。日中誰も面会こず暇だったため参加してみた。
すると、そこに私と同日入院してなかなか子宮口が開かず入院翌日に無事出産を終えた人がいた。前日に大変な出産を終えてこの説明会に参加するなんてすごいなぁと思った。
話しかけてみるとその方も無痛分娩だったとのこと。実際どうだったか尋ねると、子宮口が5センチ大程開くまでは子宮収縮促進剤を投与し続けなければならないためそこまでが辛かったと。第一子ということもありそこまでが長かったようだ。
しかし、子宮口が開いて硬膜外麻酔を投与した途端嘘のように痛みはなくなり、張りもお腹を触らないと感じないほどで、助産師さんに上手くいきめてますか?と聞くほどだったとのこと。
私とのあまりの違いに、えー、嘘でしょそんなまさかそこまでゼロに近くなるの?とショックをうけた。
助産師さんからは、私の場合お産のスピードが早すぎて麻酔の効果が追いつかなかったのかな?と言われた。
お産中、ペンで腹部や太ももあたりの感覚を確認されたとき鈍い感じがしたし、破水直後から感じた激痛が10だとすると、3くらいにはなった感じはしたがそれなりに痛みを感じながらのお産だった。
無痛分娩経験した友人二組の話でも笑いながら最後の瞬間を迎えたと言ったりしたので、一般的には無痛分娩はほぼ痛みを感じないものらしい。
未だに自分の経験はなんだったのかわからないが、痛みレベルが10から3になっただけでも感謝だしもし3人目妊娠したとしたらまた無痛分娩にするに違いない。
入院中は毎日旦那が自分のお弁当を買って仕事帰りに寄ってくれて赤ちゃんを嬉しそうに抱っこしてくれた。
長女も何度か、旦那のお母さんに連れられたり旦那と一緒に来院してくれ20時に帰らないといけないところなかなか帰りたがらず21時近くまでいたこともある。
切迫早産で3ヶ月入院したあと一度退院したと思ったら、二週間くらいして今度は出産でまた入院と寂しい思いをさせてるなと思った。
第一子の出産の時と大きく違ったのは後陣痛だった。痛みには波があって全然なにも感じない時もあれば、あまりにも痛く身体の置き所がわからないような時もあった。出産後三日ほどはほぼマックスでロキソニンを内服していた。ネットで調べたらどうやら二人目以降は後陣痛が強いらしい。出血もダラダラ出続けて生理みたいだし、おっぱいも二日目にパンパンカチカチにはってでもうまく赤ちゃんにはあげられなくてという状況が続きなかなか辛かった。
ママ友におっぱいのことを相談したら最初上手くあげられないときは搾乳機で搾乳してあげたらいいんだよと。そのうち赤ちゃんも吸う力とかついてきて上手にのんでくれるようになるから、それまではおっぱいを出し続けておっぱいが出なくならないように搾乳機に助けてもらったらいいよとアドバイスをくれた。早速助産師さんに相談するとまだ搾乳機使う段階じゃないと断られるが赤ちゃんはうまく飲めない、おっぱいはパンパンの状況に困り果て再度違う助産師さんにお願いするとすんなり持ってきてくれた。
最初はそれでも片乳20ml程度しか絞れなかったがだんだん絞ってるうちに40ml程とれるようになってきた。乳頭の形的に左の方があげやすく左ばっかりあげていたのもあって左からの方がよくとれた。
まず赤ちゃんに直におっぱいをくわえさせ、そのあと搾乳機で絞ったものを哺乳瓶であげるというのを2、3時間おきに繰り返した。
一人目の時は1ヶ月母乳とミルク混合でやっていたがそのうち母乳の出が悪くなり、対照的に赤ちゃんの必要量は上がっていったため2ヶ月目からはミルクのみに断念した経験がある。今回はどうしても完母にしたい理由があった。完母への憧れももちろんあったが、なによりも旦那の仕事による9月からのオランダ移住があったからだ。
生後2ヶ月で長時間の飛行機やホテル暮らしに完全母乳が必要不可欠なように感じていた。
一人目の時は思い返すと産後直後から母乳をあげることにこだわっておらず夜中とかミルクをしっかるあげるとよく寝てくれ自分自身も楽だったから母乳の出が悪かったり赤ちゃんが上手く飲んでくれない時はすぐにミルクを与えていた。今回はそれじゃダメなんだと最初からミルクはほとんど足さずに母乳にこだわり夜中も2、3時間おきにおっぱいあげるため出来る限り助産師さんには預けず搾乳機を使ったりしながらおっぱいをあげ続けた。
その努力のかいあって足りない分少しだけミルクを足すくらいでいい状態で退院できた。
今回お世話になったのは、フェリシアレディースクリニック。完全個室で食事はどっかのホテルのレストランので食べるような豪華なものが日替わりメニューで用意され、入院中に一度ヘッドマッサージ、フェイシャル、足裏マッサージのどれか一つサービスをうけられる。無痛分娩で自然分娩➕10万円程かかって計72万円程。国から40万ほど補助がでるため約30万円の実費だった。
一生で一回か二回あるかないかの出産、お金をかけてくれた旦那に感謝しいい思い出として心に留めておきたい。
無痛分娩にてついに出産(2018/7/10)
ついに計画分娩の日。前日は緊張で寝つきずらかったけど、出産は体力勝負と思って頑張って寝たものの夜中に何度も起きた。
7歳の長女は、学校から帰ってくるまでには産まれてるかなとワクワクモード。
小さい子が大好きで、よその赤ちゃんみては可愛い可愛いと羨ましがってたのでこの子にとっても待望の赤ちゃん。
私が入院中沢山我慢してくれてやっと対面できる赤ちゃんが待ち遠しいんだろうなと思った。
旦那のお母さんに長女が帰宅するまでに自宅にきてもらうことになった。
入院の荷物を持ち、旦那と葛飾区のフェリシアクリニックにドキドキにしながら電車で向かう。朝一入院で病院についたのは8時半過ぎ頃。
まだ一般診察は始まっておらず、入院中の産後の妊婦さんがピンクのパジャマをきて診察待ちしている。
今日の私の目標は無痛分娩にしてもらうために、子宮収縮促進剤を使用しいち早く子宮口を開くこと。
でないと、日中のお産にならないから出血のリスクを考えて無痛分娩の麻酔薬を使ってもらえない。
血圧、体重、体温を計りいざ診察。
院長が、あれ?もう子宮口3センチ開いてるよ、これなら子宮口開かせるためのバルーンはいらないねと。
無痛分娩は子宮口が5センチ程開いてないと施行しないことになっている。子宮収縮促進剤で子宮口が十分開いてから始めて、背中からチューブを挿して硬膜外に麻酔薬を注入する流れになっている。
ひとまずバルーンをいれる必要もなくなったしこれならお産も思ったより早く進みそうだからよかったぁと思った。
病室には4番と9番がなく通された個室は7番。ラッキーセブン🤞
自分の誕生日も7/7だからなんか幸先いいぞと思った。
子宮収縮促進剤入れるためのライン確保に手こずり二人目の看護師さん、4回目でやっと成功。普段なら痛いなぁと思うんだろうがこれから待ち受けてる痛みを考えたらへでもないなと感じた。
いよいよ子宮収縮促進剤投与。様子を見ながら30分おきに滴下速度をあげていく。
最初はキューキューとはるものの、長いこと感じていた張りと大きく変わらず。早く子宮口開けーと思いながら大好きな米津玄師のメドレー曲をユーチューブで聞いていた。
促進剤投与からおよそ一時間ちょいたったとき、膣のあたりにバキッと音がなり子宮が一瞬動いた気がした。
と同時にジャーっと膣から何かが流れ出る。
あ、破水だ間違いない。すぐにナースコールを押して看護師さんに確認してもらう。
破水で間違いないですね、歩けるうちにお産の台があるほうに移動しましょうかと。
準備をして歩き始める頃には痛みが強くなってきて、かなり痛くなってきました、と訴えた。
お産の台にのり、手首に血圧計をつけられたり看護師さんが周りの準備にとりかかりながら院長先生待ちましょうと。
痛みは秒単位でどんどんまし、しっかりした陣痛が始まっている。
看護師さんに、我慢できないくらい痛いんですけど院長先生まだですか?と何度も訴えた。どうやら外来での診察真っ最中。
最初から硬膜外麻酔のセッティングってしちゃダメなの?とこれからそれしてから入れるとか耐えられないと思った。
少ししてからよくやくバタバタと小走りで院長到着。
せ、せんせい。もう限界、早く麻酔入れてください。とお願いするもまず診察しますねと。
あれ?嘘でしょ、もう全開大なってるよ、もうすぐ産まれるねと。
だからいってるじゃないですか、早く早くと心で叫びながら、硬膜外麻酔いれてもらう。
冷たいの流れる感じしますか?ペンみたいなもので太ももあたりとお腹を触りこれ触れてるのわかる?と麻酔の効き方確認。
ちょっと前まで院長先生のギューっと握ってくれる手を思いっきり握りかえさないと痛くて痛くて気を失いそうだったが、途端にふっと正気に戻れるくらい楽になった。
院長先生からもどう?楽になったでしょうと。だいぶ楽にはなったが、その後も右のお尻の下の足の付け根あたりの激痛が消えない。右側を向いて麻酔薬を投与したから投与時の身体の向きのせいではないため先生も原因不明と。なかなかその痛みが消えず再度麻酔プッシュしてもらったり一時間くらいもがいていた。
院長先生は外来に戻り、看護師さんと院長でピッチで連絡取り合いながら私の訴えに合わせて最低限の時間の間隔をあけて使える範囲で薬を使ってくれた。
無痛分娩は完全に無痛ではなく和痛というのを覚悟して臨んではいたがなかなかしっかり感じる陣痛と痛みに動揺し、最初は助産師さんのアドバイス通りにできるただただ痛みを堪えていた。
助産師さんのアドバイスとは、頭を上げてお腹の下の方を覗くようにして、痛みがピークに達したときにグーっとうんちをするようにお尻の下の方に圧力をかけるよう力んでくださいというもの。
こんな痛いときに更に痛みを感じるようなこと自分でするとか無理やんって思った。
でも全然ゼロにはならない痛みがずっと続き、娘の帰宅時間の3時は近づいてきていたためどっちにしろ痛いなら早く終わりたいと思うようになり覚悟を決めて必死の思いで助産師さんのアドバイス通り力んだ。
そしたら以前は一旦下がってもすぐ上に戻ってた赤ちゃんの頭が徐々に下に下に降りてきてくれた。
助産師さんの上手ですよ、その調子ですという言葉に励まされてそれを一時間くらい続けたらついに子宮口に頭がはまるように出てきた。髪の毛さわれますよと、助産師さんに触らせてもらった。
こんなことを覚えているくらいだから、やはり無痛分娩と自然分娩では全然違うなと思った。第一子の自然分娩の時は、気を失いながらのお産だった。
最後に先生がきて、もう産まれますねと。
立会い分娩希望していた旦那は結局ほとんど立ち会えず最後の出る直前の20分程しかお産の部屋にいなかった気がする。
動画をとってる旦那に院長先生が時計もとっといたほうがいいですよとアドバイスをうけている中、ついに出産!!!
少ししてからオギャーオギャーと泣き声をあげてくれた。
三か月の入院の末、不安を伴っての出産、そのことを知ってる院長先生から、よく頑張りましたね、大変でしたねと労いの言葉をもらい、やっと無事に出てきてくれた安堵感で涙が流れた。
その様子をみて動画を撮りながら旦那も涙目。ほんとに沢山心配かけたなぁと改めて思った。
心配していた胎盤からの出血もなく出血量150mlと何の問題もなく無事出産を終えることができた。
分娩時間5時間5分、午後16:03出産で娘の帰宅時間ちょっと過ぎちゃったけど無痛分娩の希望は叶い大体目標としていた時間に出産できたなぁと思った。
助産師さんにはあそこで硬膜外麻酔いれてなかったら激痛のままどんどんお産進んで分娩時間2時間くらいだったんじゃないかなと言われた。
時間かかってもいいからあの、激痛は勘弁と心の底から思った😅
すぐに旦那から自宅待機しているお母さんと娘に連絡を入れてもらってすぐに会いに来るとのこと。
娘に赤ちゃんを見せられるのが嬉しくてたまらなかった。
初めてのご対面は、娘が思っているようなツルツルのピンクの赤ちゃんではなく白い胎脂が頭のあたりにたくさんついてる赤ちゃんでそれにびっくりしてた。
でも優しい声で話しかけ、小さい手を触って把握反射で握り返してくれる指を愛おしそうに見つめていてそんな二人を眺めるのが最高に幸せに感じた。
膣からは出血が続き、後陣痛の痛みは辛かったがその晩は久しぶりに緊張の糸から解き放たれて心穏やかに睡眠をとることができた。
つづく。
無痛分娩に向けての自宅安静〜切迫早産
やっと退院できたわけですが、37週(正期産開始時期)を超えないと受診もしてくれないとのことで、退院時点で35週超えていて赤ちゃん的には大分安心の週数だったけど、無痛分娩目指し自宅安静に徹した。
退院してからちょうど一週間後の朝、おりものに血が混ざったものが生理の時みたいにドロっとでてきた。その後お腹もキューキューとはるようになっていよいよかと思うと動悸がした。その時36w3dだったので、すぐに張り止めのウテメリンを内服し墨東病院に電話をした。夜間当番医がたまたま入院中の担当医ですごいホッとした記憶がある。
現状を説明すると10分以内間隔で強い痛みのような張りを感じたらすぐにきてくださいと、そうでなければそのまま様子見てくださいとのこと。37wまであと少しだから希望通り無痛分娩なるといいですねと励ましてくれた。
ちょうどその時W杯中で深夜にやってたフランス対アルゼンチンの試合を観ながら、張りの具合を確認したのをよく覚えている。
連日昼夜問わずやっていたW杯の試合は、気を紛らわすのにちょうどよくて出産予定日が7/25だったため最後の決勝戦(7/15)まで観れるのかーと思いながらみていた。
強い痛みは伴わないが、キューキューと5分間隔くらいで一時間程張りが続いていたがその後徐々に間隔は開き張りも治まってきたため旦那にごめん、なんか違ったみたいだからひとまず寝ようと声かけてまたベットに戻った。
そして、やっと念願の37週に突入し葛飾区にあるフェリシアクリニックに受診することとなる。
受診しに行ったら院長先生の顔は険しく、予想もしていない言葉がかえってきた。
ほんとにここで産むんですか?またほんとに無痛分娩にするんですか?と。
え、どういうこと、37週過ぎたら快く受け入れてくれる話じゃなかったのー?とショックをうけた。
院長曰く23週の安定期に破水のような出血をすることは異常で、もしかしたら胎盤の一部がはがれたことによるかもしれず
出産したときにその辺りから大量出血をするなどのトラブルが起きる可能性があるかもしれないと。また無痛分娩の薬は出産後子宮が小さく収縮する活動を鈍くする副作用があるため自然分娩と比べると一般的に出血量は増えるとのこと。
そのため、そもそもこの病院で産むのかどうかということと無痛分娩を選択するのかどうか再度考えてほしいとのこと。
また無痛分娩をどうしてもしたいのならば条件があると。
まずは朝一の計画分娩とすること、次に日中のうちに子宮口全開大となり分娩が始まらないと無痛分娩の麻酔薬は投与しないとのこと。大量出血などトラブルがあったとき大きな病院に搬送しやすくするためとのこと。
また子宮頚管も短く切迫気味だから計画するなら早い方がいいとのこと、二日後の金曜日7/5にまた再度受診をしてその時に出産をどの病院でするのか、無痛分娩をするかどうかを含めて話し合い子宮頚管の状態など内診して予定日を決めましょうとのこと。
金曜日までの二日間、無痛分娩をするかどうか旦那や友達に相談した。旦那はここまで自分の望む出産に向けて長い入院生活頑張ってきたのだから私の好きにしたらいいと言ってくれた。友達からは安全な出産が赤ちゃんにとっても私にとっても一番なのだからできれば自然分娩にしてほしいと言われ、もっともな意見だけどどうしても無痛分娩を諦められず入院でお世話になった墨東病院に直接相談するため電話をかけた。
電話をかけたら2回目の破水のような出血のときに診てくれた先生がでて、もう今の状態なら普通の妊婦さんと同じと考えて大丈夫なのでクリニックで無痛分娩問題ないですよ、こっちの医師カンファレンスでは皆そう判断していました。と言ってもらえた。
ずっと私の状態を診てきてくれた先生達がそう判断してくれているなら絶対に大丈夫と、二日間のモヤモヤがこの電話でスーっとはれた。
その旨を金曜日に受診した際伝え、クリニックの院長に承諾してもらい計画分娩の日にちが決定した。
次の週の火曜日7/10に無痛計画分娩予定となった。それまでに陣痛か破水がきたら早い時間なら麻酔使ってもいいけど二人目だし切迫だからそれする前に産まれちゃうかもねと言われた。
子宮収縮促進剤を使ってとにかくスムーズに早い時間帯にお産が進まないといけないためクリニック帰りも電車と歩きで帰り、少しずつ動くように心がけた。
受診翌日の7/7が誕生日だったため、入院中からずっと行きたかった焼肉を食べにいった。肉の切り方 日本橋本店に電車でいってお祝いしてもらった。
久しぶりの家族との美味しい外食はこころもからだもエナジーチャージされこれから待ち受けてる出産頑張るぞという気持ちにさせてくれた。
つづく。