切迫早産による緊急入院(2018/4/1)

2017/11妊娠発覚してから、パートタイムで看護師の仕事をし家族とディズニーやキッザニアに行くなどいつもと変わらない生活を送っていた。3月下旬の桜の季節にはお友達とお花見をしたりバーベキューをしたり上の子を連れて毎日のようにでかけていた。

そんな中、旦那希望のオランダへの海外赴任も現実味を帯びてきておそらく2018/10から向こうでの仕事がスタートするだろうとのこと。第二子出産予定日が7/25のため出産してから二カ月程で移動することになるのかと少し不安に思いながらも子育てするには自然も多そうだしネットで検索しても教育面も充実してるとのことで前向きに考えていた。

赤ちゃんが産まれてからは時間もとりずらくなって片付けも思うようにできないだろうと日々断捨離に励んでいたのを覚えている。


そして忘れもしない4/1朝方事件は起こった。膣より血性のサラサラとした水っぽい出血、ジュッジュッジュッと3回くらいにわけて生理の時のようにでてきた。

朝方4時頃だったため焦ってすぐに旦那を起こし大変、どうしようと。

ティッシュで抑えながらナプキンをもってきてもらいショーツにセットしながらすぐにかかりつけのところに電話しようということになった。

一人目は普通分娩だったため二人目は無痛分娩に挑戦したいという思いから葛飾区にあるフェリシアクリニックという病院に通っていた。私も旦那もパニック状態でどこに電話すればいいんだっけとあたふたしながら電話番号を探し震えながら旦那が電話してくれてるのを覚えてる。

ひとまず止まってるなら様子をみて朝まで待って9時以降に受診しにきてくださいとのこと。ただ不正出血というにはあまりに量も多く入院も予感してかかりつけではないけれど家から近いもう少し大きめの病院に緊急でみてくれないか打診することにした。

幸い見てくれるとのことで、タクシーを呼ぶことにした。

またタクシーを呼ぶのに時間も時間でなかなか捕まらず旦那が近くの大通りで直接捕まえてくると言って家をでてそのタクシーで向かうことになった。

上の子は爆睡していたので、置いてすぐに病院に向かい実母に連絡をいれ始発でこっちに向かって上の子が起きる前にきてもらうことになった。

ついたのは荒川区リバーサイド病院。

緊急対応で車椅子で診察台まで連れて行ってもらい診てもらったら膣から拳大程のレバー状のものがドロっと出てきた。

担当医師が普通の不正出血ではない、ここでは診ることはできません、血が止まらなかったら母体を優先させて赤ちゃんを出さないといけないかもしれません、その場合はまだ23週のため赤ちゃんが生きていけるかどうかは半々くらいの確率になってしまうと。

何を言われてるのかこれは現実なのか、赤ちゃんをだす?え、どういうこと?

パニックで、頭が真っ白になるとはこういうことをいうんだなという感じだった。

上の子も何の異常もなく、今回の妊娠でも定期検診で異常を指摘されたことはなくまさか自分の身にこのようなことが起こるなんて想像もしていなかった。

同時に心配性の旦那、両家の親皆に心労をかけることになってしまって申し訳ないという感情が出てきて、ごめんねと何度も言った記憶がある。

母体のICUがある病院は限られており今から近いところからあたってみるとのこと。幸い一番近場の錦糸町駅近くにある墨東病院に緊急入院できることが決まった。

リバーサイドで子宮収縮抑制剤のウテメリンを点滴でいれてもらいながら救急車で墨東病院に運ばれた。

医師も付き添ってくれるのだが、その時救急車の天井を見ながら恐怖心で言葉も出ずずっと黙ってこの先何が起こるのだろうと考えていた。ずっと難しい顔をしていた医師に最後引き継ぎの際、墨東病院とってもらってよかったですね、ここなら大きいからちゃんとみてくれますよと励ましてもらったような気がする。

墨東病院の診察台に上がった時には出血は収まっておりエコーでも赤ちゃんが元気に心臓の音を聞かせてくれた。

数名の医師が交代で膣にエコーの棒をいれ長いこと状態をみているので刺激でまた出血するんじゃないか、早く終わってほしいと思った。リバーサイド病院でいれた子宮収縮抑制剤ウテメリンにプラスして、破水していた場合感染の恐れがあるため抗生剤を投与された。

また26週未満の切迫早産の人に、胎児肺成熟を介した新生児呼吸窮迫症候群の発症抑制としてステロイドを母体投与しなければならない。その時23週だったため医師からこのような説明をうけステロイドを筋肉注射した。

その後、検査結果と説明があるから旦那に診察台の部屋に入ってもらって待つよう言われなんて言われるんだろうと顔を見合わせてはため息をつきながら待っていた。

その間看護師さんの問診をうけながら部屋に響き渡る赤ちゃんの心拍の音に、あぁ生きてくれてる出血も止まったしなんとかなる、

きっと大丈夫だと心の中で自分を励ましていた。その後医長から現在の状況の説明があった。原因ははっきりせず破水なのか低置胎盤からくる出血なのかはたまたほかに原因があるのか。今はわからないがひとまず出血が止まっているのと陣痛がきていないため、破水だったときのために抗生剤をいれステロイドを投与し様子をみましょうとのこと。

ただ陣痛がこなくてももし破水していてそこから子宮内が感染してしまった場合には赤ちゃんは外に出した方が安全のため緊急帝王切開をしますと。輸血の同意書、手術の同意書、麻酔の同意書やらたくさんわたされサインしてくださいと。

ペンを握るも心臓はバクバク、手は震えていて全く上手くサインができない。

それだけストレスを感じていて緊張しているんだなと思っていたが、その後になってどうやら子宮収縮抑制剤ウテメリンの代表的な副作用だということがわかって妙に納得した記憶がある。

この時点でお昼くらいになっていて、上の子はどうしているかなとか今日明日の予定キャンセルしなきゃとか段々とほかのことも考えてられるようになっていった。

まさかこの後三カ月もの入院生活が待っているとはその時微塵も考えていなかった。