MFICUから一般病棟への移動

4/9の出血から一週間程経った日、容態が安定しているから新しい患者さんをいれるため一般病棟へ移動となった。

最初は嬉しく思ったがICUと比べて一人当たりのスペースはぐっと狭く四人部屋の廊下側だったため外の景色も見れないためカーテンで仕切られた空間で一日中ひたすら横になってるのがすごい苦痛に感じた。

またいつ再出血するかわからない状況だったため、友達のお見舞いも断り基本旦那だけ面会にきてもらっていた。

一般病棟では双子を妊娠してる多胎妊婦さんが多かった。単胎妊娠と比べて胎児の体重も増えずらく妊娠継続することが難しいため、双子ちゃんの成長を見ながら1日でも長くお腹にいてもらうために子宮収縮抑制剤を点滴でいれたり張り止めのウテメリンを内服して経過をみていた。

入院して初めて双子ちゃんを妊娠することがこんなにも大変で入院を要することだとわかった。


4/1に入院してから一か月が経ち5/1に目標としていた妊娠後期の28週に入ることができた。肺の機能はまだ未熟だけど、他の内臓の器官も完成し胎児の体重も1000gを越えるため生存率が格段にあがると言われている。

この時エコーで1201gと言われ入院時に大きな目標としていたところに到達できすごい嬉しく感じた。

また羊水量がピークに達する時期。破水疑いの自分にとっては羊水量が増えることも心強かった。ここで一つ目標クリアしたので自分へのご褒美としてずっと会いたかった上の子とゴールデンウィークの5/3に面会した。

上の子は7歳でもう小学生だったのでお姉ちゃんと思ってたけど、久しぶりに会う娘の姿は小さく感じまだまだ甘えたい時期に負担かけちゃってるなぁ、でもここでしっかり入院して元気な赤ちゃんを産まないともっと辛い想いさせちゃうから頑張らないとと思った。

医師からは、次の目標は30週ですね、30週になれば下から産めるし肺の機能もだんだん出来上がってきてる時期だからNICUがあるこの病院で産めば大丈夫ですよと励まされた。

30週入る2日前の日曜日が母の日だったためそこで娘にまた会うのを励みに頑張ろうと思った。

ついに医師からも最後の出血から一か月くらい経ってて30週に入るためそろそろ退院考えましょうかという話がでた。

やっとこの孤独な入院生活からも解放されて家族と一緒に暮らせると思い、子宮頸管は、短く切迫早産であることに変わりはなかったが退院に向けて自宅で生活することへの自信をつけるために少し動こう思った。

また入院してからずっと友達のお見舞いも我慢してたから退院前に一度会おうと親友に連絡した。

友達との楽しい時間を過ごし久々に大笑いもし満足して友達と別れた後まさかの出血😱


便器をみると真っ赤な血で染まってる。。

前のような破水みたいな水ではなく真っ赤な鮮血だった。量はわからないものの絵の具のように真っ赤に染まった便器をみて血の気が引いたのを今日のことのように覚えている。

すぐにナースコールをおし、胎児モニター装着。あぁ、バチがあたった。調子にのって友達にお見舞いにきてもらってはしゃいだからだ。家には自分の退院を心待ちにしてる娘がいるのになんてことになってしまったんだろうと後悔で泣きそうになった。

看護師さんからもおしるしみたいな感じですね、いちお旦那さんに連絡してくださいと。

え、おしるし?いよいよ出産?どゆことと

不安と緊張で手が震えた。


その時から今まで感じたことのないお腹の張りを感じるようになってしまった。

キュー、キューと定期的にくる張りと波うつようなモニター。

医師に診察してもらい、今日張ったりしてましたか?今回のは子宮が収縮して子宮壁の一部がこすれて剥がれたところからの出血でいわゆるおしるしですね。赤ちゃんがでようとしてるのかもしれないですね。張り止め屯用でのんで様子みましょうと。本陣痛がきたら薬でもとめられないのでそしたら出産になりますとのこと。


次の日、母の日に会えることを楽しみにしていた娘との面会もなくなり退院の話もなくなってしまった。担当医からは34週になれば肺も完成して赤ちゃんが出てきてもまず間違いなく後遺症もなく産まれてくることができるので34週までいったら退院を考えてもいいかもしれないですねと。

退院予定が一気に一か月も先の話になってしまった、悔やんでも悔やみきれず翌日娘がからの手紙と母の日のお花をもってきてくれた旦那を目の前に号泣してしまった。


でもまだ肺の機能も完成してない30週で産んでしまったら大変なことになるかもしれないと思い緩んでいた気を引き締めなおして気持ち新たに入院生活を続けることになった。


つづく。