切迫早産による三か月の入院生活を経てついに退院

4/12のおしるしがきてからというもの、それまで感じることのなかったお腹を張りを感じ屯用で平均一日3錠ウテメリン内服するようになった。この前駆陣痛が本陣痛に移行しないことを願いながら朝夕のモニタードキドキしながらやってた記憶がある。

張りやすい時間帯は仮眠をとったりドラマや映画をみて自分で自分をごまかしながら一日でも長く妊娠生活を続けられるようにした。初おしるしから10日から二週間に一度のペースでおりものに血が混じったものが二回ありそのようなことがあると、緊張感が戻り一日でも長くここにいて赤ちゃん大きくなってもらわないとと思えたが、間のなにもない期間は週数が進むにつれてもう帰りたいそろそろ帰ってもいいんじゃないかと強く退院を希望し担当医によくかけあっていた。

担当医からもいい週数になってきたし、なにもないからじゃあそろそろ退院考えましょうかと言ってもらうとその翌日や翌々日に出血をすることが多かったため、退院の話はオフレコだねと冗談をいっていたのが懐かしい。


その時も週数の赤ちゃんの成長具合をネットで調べあさり、エコー検査の赤ちゃんの体重とにらめっこしながらまだ、肺の機能が完成してないからここで万が一産まれたら大変なことになると自分を戒めて退院したい気持ちをなんとか押し殺した記憶がある。

毎週水曜日のエコーで赤ちゃんの様子や予測体重をみるのだけが楽しみだった。

毎日あと何日でエコー検査だと心待ちにしていた。


34週になると赤ちゃんの肺の機能が完成するとのことで産まれてきてもNICUではなくGCU対応になることが多いとのこと。

イメージとしては細めの赤ちゃんが産まれてくるからあとはGCUで体重だけ増やしてあげればいいとのこと。

この頃になると、入院当日とは違い周りの患者さんよりも自分の方が週数が大きくなっていって随分長いこと入院したんだなと実感した。看護師さんにも今一番長いですね、とよくいわれるようになった。


入院期間を振り返るとどれだけ泣いたかわからない。

看護師さんの前でどうすることもできず泣いてしまうこともあったが、基本的には誰にも気づかれないように音を立てず涙をひたすらに流していたことが多い。

ICUにいた時はいつまた破水するのだろうと常に気持ちが切迫していて情緒不安定になりよく泣いていたが看護師さんの来室も回数が多く、看護師さんの来室の合間に泣いたり消灯時間を待って泣いたりしていて自由がないなぁ自由に泣くこともできないんだなと余計に気持ちが落ち込んだのをよく覚えている。


一般病棟に移動してからストレスだったのは周りの患者さんが外出・外泊をしたり友人や親戚のお見舞いが多かったことだった。

一度きてもらった親友のお見舞いの日出血したのがトラウマとなりそれ以来再出血するのが怖くなってずっと我慢をして断り続けていた。他の患者さんと交流でも持ててたらまた違ったのだろうが、双子妊娠のママさんが多く同じ立場の患者さんが同室にいなかったことや自分でもびっくりするくらいネガティブで自分自身暗かったため人に話しかけるような気力もなくただひたすらベットに横たわり四、五日に一回シャワーを浴びるような生活を送っていた。


そしてついに34週を超え退院の話が現実のものとなった。

そこで問題となったのがどこで産むのかである。自然分娩予定の人だったら家からもさほど遠くないためお世話になったこの病院で産むのが普通だが、私は第二子は絶対無痛分娩と決めていたので当初予定していた通り葛飾区のフェリシアクリニックで産みたかった。

担当医は36週に入ればほぼ正期産だから退院してすぐ36週なるからクリニックでも大丈夫ですよと言ってくれたがクリニックの担当医からの返答はまさかの無痛分娩なら37週を過ぎないと受診も受け付けないとのことだった。

おそらくリスクを一切おいたくないということだろう。35週3日の6/23退院予定のため退院してから37週入るまでの10日の間に陣痛や破水がきたら三か月入院した墨東病院で自然分娩、それ以降まで持てばフェリシアにて無痛分娩というイレギュラーな形の予定となった。それにしてもそんなわがままを最後まで聞いてくれた墨東病院の先生には感謝の気持ちしかない。

退院当日ウテメリンを内服しドキドキワクワクしながら退院の準備をしたのを覚えている。娘にあえること、家族揃って生活できること、外の空気がすえること、好きなものが食べれること、声を出してもいいこと、お友達にも会えること今まで当たり前と思っていたことがキラキラしたものに感じ胸がいっぱいになった。

旦那に迎えにきてもらいサポートしてもらいながらタクシーにのった。

病院をでて外の空気を吸った瞬間生ぬるい風がビューっと吹いてどこか海外にでもおりたったエアポートのように感じた。

よくよく考えてみたら4/1に入院したためワンシーズンすぎていた。春から夏にかわったことも病院にいたら肌で感じることができないんだなと思った。外の世界にでれた幸せを噛み締めながらタクシーからの景色を楽しみ馴染みの自分のマンションについた。

ロビーで早速友達何人かに会いその時点で泣きそうになった。そのあとが外出してた娘とも会うことができて涙が溢れてきた。

久しぶりの自分のベットはフワフワしててあったかくてやっぱり家はいいなと実感した。


つづく。