無痛分娩に向けての自宅安静〜切迫早産

やっと退院できたわけですが、37週(正期産開始時期)を超えないと受診もしてくれないとのことで、退院時点で35週超えていて赤ちゃん的には大分安心の週数だったけど、無痛分娩目指し自宅安静に徹した。

退院してからちょうど一週間後の朝、おりものに血が混ざったものが生理の時みたいにドロっとでてきた。その後お腹もキューキューとはるようになっていよいよかと思うと動悸がした。その時36w3dだったので、すぐに張り止めのウテメリンを内服し墨東病院に電話をした。夜間当番医がたまたま入院中の担当医ですごいホッとした記憶がある。

現状を説明すると10分以内間隔で強い痛みのような張りを感じたらすぐにきてくださいと、そうでなければそのまま様子見てくださいとのこと。37wまであと少しだから希望通り無痛分娩なるといいですねと励ましてくれた。

ちょうどその時W杯中で深夜にやってたフランス対アルゼンチンの試合を観ながら、張りの具合を確認したのをよく覚えている。

連日昼夜問わずやっていたW杯の試合は、気を紛らわすのにちょうどよくて出産予定日が7/25だったため最後の決勝戦(7/15)まで観れるのかーと思いながらみていた。


強い痛みは伴わないが、キューキューと5分間隔くらいで一時間程張りが続いていたがその後徐々に間隔は開き張りも治まってきたため旦那にごめん、なんか違ったみたいだからひとまず寝ようと声かけてまたベットに戻った。

そして、やっと念願の37週に突入し葛飾区にあるフェリシアクリニックに受診することとなる。

受診しに行ったら院長先生の顔は険しく、予想もしていない言葉がかえってきた。

ほんとにここで産むんですか?またほんとに無痛分娩にするんですか?と。

え、どういうこと、37週過ぎたら快く受け入れてくれる話じゃなかったのー?とショックをうけた。

院長曰く23週の安定期に破水のような出血をすることは異常で、もしかしたら胎盤の一部がはがれたことによるかもしれず

出産したときにその辺りから大量出血をするなどのトラブルが起きる可能性があるかもしれないと。また無痛分娩の薬は出産後子宮が小さく収縮する活動を鈍くする副作用があるため自然分娩と比べると一般的に出血量は増えるとのこと。

そのため、そもそもこの病院で産むのかどうかということと無痛分娩を選択するのかどうか再度考えてほしいとのこと。

また無痛分娩をどうしてもしたいのならば条件があると。

まずは朝一の計画分娩とすること、次に日中のうちに子宮口全開大となり分娩が始まらないと無痛分娩の麻酔薬は投与しないとのこと。大量出血などトラブルがあったとき大きな病院に搬送しやすくするためとのこと。

また子宮頚管も短く切迫気味だから計画するなら早い方がいいとのこと、二日後の金曜日7/5にまた再度受診をしてその時に出産をどの病院でするのか、無痛分娩をするかどうかを含めて話し合い子宮頚管の状態など内診して予定日を決めましょうとのこと。

金曜日までの二日間、無痛分娩をするかどうか旦那や友達に相談した。旦那はここまで自分の望む出産に向けて長い入院生活頑張ってきたのだから私の好きにしたらいいと言ってくれた。友達からは安全な出産が赤ちゃんにとっても私にとっても一番なのだからできれば自然分娩にしてほしいと言われ、もっともな意見だけどどうしても無痛分娩を諦められず入院でお世話になった墨東病院に直接相談するため電話をかけた。

電話をかけたら2回目の破水のような出血のときに診てくれた先生がでて、もう今の状態なら普通の妊婦さんと同じと考えて大丈夫なのでクリニックで無痛分娩問題ないですよ、こっちの医師カンファレンスでは皆そう判断していました。と言ってもらえた。

ずっと私の状態を診てきてくれた先生達がそう判断してくれているなら絶対に大丈夫と、二日間のモヤモヤがこの電話でスーっとはれた。

その旨を金曜日に受診した際伝え、クリニックの院長に承諾してもらい計画分娩の日にちが決定した。

次の週の火曜日7/10に無痛計画分娩予定となった。それまでに陣痛か破水がきたら早い時間なら麻酔使ってもいいけど二人目だし切迫だからそれする前に産まれちゃうかもねと言われた。

子宮収縮促進剤を使ってとにかくスムーズに早い時間帯にお産が進まないといけないためクリニック帰りも電車と歩きで帰り、少しずつ動くように心がけた。

受診翌日の7/7が誕生日だったため、入院中からずっと行きたかった焼肉を食べにいった。肉の切り方 日本橋本店に電車でいってお祝いしてもらった。

久しぶりの家族との美味しい外食はこころもからだもエナジーチャージされこれから待ち受けてる出産頑張るぞという気持ちにさせてくれた。


つづく。